ひとりぼっちの生き物

仏教には「独生 独死 独去 独来」という言葉がある。

「人はひとり生き、ひとり死ぬ。やって来るのもひとり、去って行くのもひとり。人間というものは、ずっとひとりぼっち。魂が孤独なもの」

という、お釈迦様の教えだ。

「わたしのことを分かってくれない、などと言うけれども、そもそも人のことを理解することなど人にはできません。やろうとしても出来ないことです。」

といったことを説かれている。

 

ではなぜ、人と人は出会うのだろう。

なぜ、人は誰かと居ようとするのだろう。

なぜ「分かってほしい」と願うのだろう。

 

ずっとひとりぼっち。それが人間。それなら誰とも出会わなければいいし、誰かに分かってもらおうともしない方が合理的じゃないか。

結婚しても家庭を持っても子供が出来ても孤独なんだ。それなら最初から、ひとりきり細胞分裂を繰り返す生き物にしたらいい。

分かってもらおうとするから、争う。傷付け合う。戦争だってなくならない。

どうして人間とは、こんなにも矛盾を抱えて生きにくい、そんな生き物なんだろうか。

 

お釈迦様からしたら「私はひとりぼっちだ」と思う、それ自体がおこがましい考えなのだと思う。

みなひとりぼっちなのだ、ひとりぼっちということは、嘆く必要がないことなのだと、諭されそう。

けど私はお釈迦様にはなれない。

だから、眠れずにこんなことを考える夜なんかは、ひとりぼっちすぎて最高に寂しい。

 

ひとりぼっちの生き物ニンゲン。

それならどうして人と出会うのでしょうか。

 

答えは出ない。きっと一生出ないものなのだと思う。

だから生きてる限り、考えたい。

 

いつかずっと未来で、お浄土に行ったとき。お釈迦様に聞いてみようと思う。

拝啓お釈迦様。人と人とは、どうして出会うのでしょうか。